信仰の種は、私たちが毎日大切に育てていくことで実を結びます。
私たちに仏性があるということは、誰もが悟りの種を持っているということです。しかし、一般の人にとって、その種をすぐに見て、十分に体験し、揺るぎない自信を持つことは簡単ではありません。したがって、信心は最初から完成された証明ではなく、正しい教えを信頼し、実践を通じてそれを確認するための出発点です。
農業を思い浮かべるとわかりやすいですね。畑に種があったからといって、すぐに実がなるわけではありません。種があることを信じて、土を整え、水をやり、雑草を抜いて、日光に当てなければなりません。その努力が積み重なって種は芽となり、その芽が成長して実を結びます。
仏性も同様です。 「自分の中に仏陀の種がある」という信念は、修行を止めるものではありません。むしろ、それは私たちが毎日自分の心を大切にすることを可能にする力です。小さな言葉を優しく言うこと、怒りが生じたら立ち止まること、やるべきことを正しく行うこと、これらはすべて種を大切にする実践です。
まだ実際の経験が不足しているとしても、落胆する必要はありません。最初にそれに気づいた人の言葉を信じて、その信念を今日の行動に移すだけです。信仰は思考の中だけにとどまると弱くなりますが、実践すると人生を変える力になります。
したがって、重要なことは、種があるかないかだけを考えることにとどまらないことです。すでに植え付けられている可能性を信じて、今日できる小さなことを実行することです。そのような思いやりの心は毎日私たちを悟りへと導きます。
仏性は私たちの中にある悟りの種です。種を十分に体験できていなくても、先に気づいた人の言葉を信じて、実践することで大切にしていくことができます。種が実を結ぶためには水をやり、雑草を取り除く必要があるのと同じように、信仰は日々の小さな実践を通じて成長します。