再び生死の家を建てない自由
衆生は無明で家を建て、渇愛でその家を保ち、執着でまた新しい家を建てます。無明と渇愛と執着が互いにつながり、生死をくり返させます。一つの思いに執着すると別の思いが起こり、一つの欲が満たされると新しい欲が生まれます。このように、自らが建てた家に閉じ込められ、生死と輪廻をくり返します。
仏陀は幾たびもの生にわたって修行を続け、家を建てる者を探されました。ついに悟りを成就されたとき、その家を建てる者が何であるかをはっきりと見られました。家を建てる者はまさに渇愛であり、その家を支える根本の原因は無明であると、徹底して悟られたのです。
すべての垂木は折れ、屋根の棟木までも崩れ落ちました。もはや家を建てる材料も、家を建てようとする執着も残っていません。一つの家が崩れただけでなく、再び家を建てさせる原因までが完全になくなったのです。
無念とは、単に思いをなくすことではなく、思いに縛られないことです。さらに究極の無念とは、無明の根が完全に断たれ、二度と生死の家を建てない境地です。家が崩れただけでは、悟りは完成しません。再び家を建てさせる原因が起こらないとき、真の解脱があります。
ですから、修行者は妄念を一つひとつ取り除くことだけにとどまってはいけません。その妄念がどこから起こり、何に頼って続いているのかを、徹底して見つめてください。そうして、その根本の原因を取り除いてください。
ついに無明が消え、渇愛が尽きると、取るものも捨てるものもありません。とどまる場所もなく、そこにとどまる者もない、自由な境地に至ります。これが完全な解脱です。
「家を建てる者よ、私はあなたを見た。あなたは二度と家を建てることはできない。」
この宣言には、もう輪廻に引きずられることはなく、輪廻から完全に離れたという悟りが込められています。この教えを、禅仏教の無念正宗と結びつけて見つめることもできます。あらゆる妄念から離れた無念は、見性の悟りにつながります。家を建てる者を見て、二度と建てさせなかったという宣言を、無念正宗の意味を表すものとして味わうこともできるでしょう。
家を建てるには、さまざまな材料が必要です。家が何の材料もなしに建たないように、この身を受けて生まれ、死んでいく輪廻にも原因があります。妄念と無明と執着が家を建てる材料となって、何度も輪廻を続けさせます。その原因が残っている間は、苦しみから離れることはできません。
しかし、その原因を根から取り除けば、二度と輪廻せず、完全に解脱することができます。これは、仏陀が教えられた解脱の意味を、無念正宗と結びつけて見つめることです。思いが起こるその場で、その思いを握りしめる執着と無明を見つめ、再び生死の家を建てさせる根を断ってください。
今日、心を捉える思いや欲が起こったら、それをなくそうと急ぐよりも、しばらく見つめてください。この思いはどこから起こったのか、何を握りしめて続いているのかを振り返ってください。
ひとつの欲を満たしたあと、また別の欲へと向かう心にも気づいてください。思いがあるという事実よりも、その思いに縛られている心を見つめることが大切です。妄念を一つ静めるところで止まらず、再び家を建てさせる原因を見つめる修行をしてみてください。
衆生は無明で家を建て、渇愛と執着でその家を続けます。一つの欲が満たされるとまた別の欲が生まれるように、その原因が残っているかぎり、生死と輪廻もくり返されます。
無念とは、単に思いをなくすことではなく、思いに縛られないことです。妄念を一つひとつ取り除くことだけにとどまらず、それがどこから起こり、何に頼って続いているのかを見つめてください。無明と渇愛が根から断たれ、二度と生死の家を建てないこと、それが真の解脱です。
- 衆生は無明で家を建て、渇愛でその家を続けます。
- 一つの欲が満たされると、また新しい欲が生まれます。
- 妄念を一つひとつ取り除くことだけにとどまってはいけません。
- その思いがどこから起こり、何に頼って続くのかを見つめます。
- 無明と渇愛の根が断たれると、二度と生死の家を建てません。