分別の心がなければ、汚すものも清めるものもありません
私たちは世界をありのままに見ていると思いがちですが、実際には自分の心の色を通して見ていることが多いものです。同じ人、同じ出来事でも、心が暗い時にはより荒く重く見え、心が澄んでいる時には少しやわらかく見えます。
汚れている、清らかであるという判断も、束縛である、解脱であるという感覚も、心の分別の中で起こります。だからといって、世の中のことをいい加減に見ればよいという意味ではありません。まず自分の心がどのような眼鏡をかけているのかに気づいてこそ、外の状況もより正確に見ることができます。
無心とは、何も考えない冷たい状態ではありません。分別と執着が薄れ、ものごとをありのままに見ることのできる澄んだ場です。修行は、世界を無理に変えようとする前に、自分の心の眼鏡を下ろし、澄んだ水に映る空のように今を映してみるところから始まります。
この教えで大切なのは、心を無理に飾ったり、一度に変えようとしたりする態度ではありません。まず、今の自分の心がどこにとらわれているのかに気づき、その場で一歩、より正しい方向を選ぶことです。修行は遠くにある特別な出来事ではなく、日々の表情、言葉、判断、配慮の中に現れます。
今日の最初の基準は、「世界は心の色を通して見えることが多い」です。一日の終わりには、「まず自分の心の眼鏡を見つめます」という方向を、少しでも実際に選べたかどうかを振り返ればよいのです。大きく完全な実践でなくても大丈夫です。一度立ち止まり、一度やわらかく語り、もう一度広く理解しようとする心が、すでに修行の始まりです。
今日も自分の心の眼鏡を見つめ、ありのままを見てください。
世界は心の色を通して見えることが多いものです。まず自分の心の眼鏡を見つめます。今日もこの教えを生活の中の小さな選択へ移し、心を明るくする一日にしてください。
- 世界は心の色を通して見えることが多いものです。
- 暗い心は、同じ出来事も重く見ます。
- 汚れも清らかさも、心の中で起こります。
- 無心とは、澄んで見ることのできる場です。
- まず、自分の心の眼鏡を見つめます。