違いながらも、互いを成しています
花は花であり、木は木です。私は私であり、他者は他者です。その違いを消し去ることなく、違いが互いを妨げる必要はありません。今日の教えは、これを華厳の事事無礙という考え方によって説明します。すべての存在と現象が、妨げられることなく互いに通じ合い、互いを成しているという意味です。
これを示す譬えが因陀羅網です。無数の宝珠が連なる網の中で、一つの宝珠に他のすべての宝珠が映ります。その映った宝珠の中に、再び全体が映ります。宝珠たちは、それぞれの姿を失うことなく互いを映し合います。一の中に全体があり、全体の中に一があるという教えです。
これは単にすべてが同じだという意味ではありません。違いを消し去ることでもありません。異なる存在が孤立して存在しているのではなく、数え切れない縁によって共に成り立っていることを見つめる見方です。一輪の花にも、日光や水、土をはじめとする多くの縁が宿っています。
修行においては、自分が作り出す境界を振り返ります。自分と他者、好きと嫌いを固く握りしめると、心はその境界に囚われます。空を見つめるとは、違いを消し去ることではなく、その違いが固定されていると執着することをやめることです。違いを見つめながらも平等を見失わず、その平等の中で、それぞれの存在をそのまま生かします。
今日出会う人を、自分の基準だけに当てはめようとする心が起きていないか、見つめてみましょう。自分と違うという理由だけで遠ざける前に、互いの人生がどのような縁でつながっているかを振り返ってみます。事事無礙とは、どこか遠い別世界を指す言葉ではなく、分別や執着が離れたとき、互いを成しているこの世界そのものを見る智慧です。
事事無礙とは、すべての存在と現象が妨げられることなく互いに通じ合い、互いを成しているという教えです。因陀羅網の宝珠たちがそれぞれの姿を失わずに映し合うように、私たちもまた互いに違いながら共に生きています。違いを消し去ろうとするのではなく、それに執着する心を見つめ、互いを結ぶ縁を振り返ってみましょう。
- 違うということは、離れることではありません。
- 一人のようでも、縁でつながっています。
- 一つの宝珠に、他の宝珠たちが映ります。
- 違いを消そうとする心を、手放します。
- それぞれの姿のまま、互いを成しています。