今日の言葉

雲の向こうの太陽

2026 . 09 . 28

空を雲が覆うと、太陽は見えなくなります。しかし、それは太陽が消えてしまったということではありません。雲が晴れると、太陽は再び世界全体を照らします。今日の教えは、私たちの本来清らかな心をこの太陽にたとえています。

仏性とは、誰にでも本来備わっている悟りの根底を指します。「真如心」という言葉も、つくり出されたり分別したりする以前の、真実の心を指しています。欲望や執着から生まれる煩悩や妄想は、その根底を覆い隠すことはあっても、新たに作り直さなければならない何かに変えてしまうことはできません。

心が望むものを際限なく増やしていくと、しがみつくものも増えていきます。一つを手に入れても、また別のものを求め、その間には心配や分別が続きます。今日の教えでは、このように次々と生まれる妄想を雲にたとえています。雲の形の一つひとつを追いかけていると、空を照らす太陽を忘れてしまいがちです。

仏の教えがさまざまな方便として伝えられてきたのは、衆生の心や執着がそれぞれ異なるからです。数多くの法話は、ばらばらな目的に向かっているわけではありません。本来清らかな心をそのまま見るように導くという一点において、一つに通じています。原文は、多くの波が一つの海から生じるように、数多くの心や教えもその根本から離れてはいないと説いています。

修行とは、外から智慧を持ってきて付け加えることではありません。欲望や妄想に引きずられて、本来の心を覆い隠していないかを振り返ることです。妄想が尽きたところに智慧が現れるという教えを、ひととき心が安らぐことだけをもって悟りを得たという意味に狭めてはなりません。

今日は、もっと得ようとする心がどのように起こるかを見つめてみましょう。その心を責めてさらに別の煩悩を重ねるのではなく、どうしても手放せないと思う執着を一つ、見つめてみます。雲を太陽そのものと見誤らないように、今起こっている欲望や心配を心のすべてだと思わないところから、修行は始まります。

雲が太陽を消せないように、煩悩が本来の清らかさを消すことはできません。

本来清らかな心は、雲の向こうの太陽に似ています。欲望や執着から生まれた煩悩がその光を覆い隠しますが、太陽そのものが消えるわけではありません。数多くの教えも、本来の心をそのまま見るように導く方便です。今日は、何をもっと手に入れようとしているかを見つめることから修行を始めます。

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雲の向こうの太陽
雲の向こうの太陽 漫画
  1. 空が雲に覆われると、太陽は見えません。
  2. 欲望と執着が心の光を覆います。
  3. 覆われても、太陽は消えていません。
  4. 今、何を握りしめているか見つめます。
  5. 雲が晴れれば、本来の光が現れます。