今日の言葉

あるがままに見るとき

2026 . 09 . 02

何かに出会うとき、私たちはまずあるがままに見るよりも、すぐに判断を加えてしまいがちです。美しいと感じれば手に入れたくなり、気に入らなければ押しのけたくなります。その判断の中心には、たいてい「私」がいます。自分に利益があり、自分を満足させ、自分の望みに合わなければならないという心が、対象を捉えてしまいます。

花を美しいと感じること自体は問題ではありません。しかし、その瞬間に「これを手に入れなければ」という思いが続くと、心は対象に向かって動き始めます。欲しい気持ちと嫌悪、比較と分別が次々と続き、その動きはまた新たな心配や執着を生み出します。

修行とは、世界を見ないことでも、何もしないことでもありません。自分を中心にして加えてきた分別をひととき手放し、今目の前にあるものをあるがままに見ることです。花を花として、風を風として、そして自分の心をただ生まれつつある心として気づくとき、私たちは余計な物語をこれ以上つくらなくなります。

あるがままに見るということは、無感覚になることではありません。むしろ、より明瞭に見て、より正しく行動できるようになります。誰かの困難を目にしたときも、自分の感情を先に立てるのではなく、本当に必要な助けを見きわめることができます。自分が正しいという思いにとらわれていないとき、相手の言葉もより十分に聞くことができます。

心が忙しく好き嫌いを分けようとするとき、まずその心がどこから始まるのかを見つめてください。「これを手に入れなければ」「自分の思いどおりにならなければ」という思いがあるかどうかを、静かに気づいてみてください。ひとつの気づきがすぐに執着を取り除くわけではありませんが、その執着に引きずられて新たな苦しみをつくる道を、止めることはできます。

好き嫌いを加える前に、今目の前にある対象と自分の心をあるがままに見なさい。

何かを見るとき、好き嫌い、欲しい気持ちと押しのけたい気持ちがすぐに続いて生まれます。その心の中心には「私」がいます。ひととき立ち止まり、対象と自分の心をあるがままに見てください。分別を加えることが少ないほど執着はしずまり、必要なときにより正しく行動することができます。

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あるがままに見るとき
あるがままに見るとき 漫画
何かを見た瞬間、私たちはそれに判断を加えます。
好き嫌いは、つかもうとし、押しのけようとする心になります。
まず、対象と自分の心をあるがままに見なさい。
つかまなくても、私たちははっきりと見ることができます。
分別を加えることが少ないほど、心は澄んでいきます。