今日の言葉
本質を見るとは、私たちが本来如来であることを悟り、菩薩行によってそれを明らかにすることである
2026 . 06 . 03
「自分の本質が見えたら、すぐに如来になる」という言葉は、Seon 仏教でよく使われます。しかし、それを単に新しい存在に変化することとして理解すると難しい。本質を見るとは、自分の本来の仏性や本心を直に見ることです。
原理的に言えば、衆生と仏は二つではありません。雲が晴れても太陽が新たに生まれるわけではないのと同じように、真実の自然を見て、それまで存在しなかった仏が生まれるわけではありません。それは常に完成された仏性を明らかにします。
これが、Seon masters が心を見ること自体が仏陀であると述べた理由です。迷いが衆生、目覚めが仏という言葉もここから理解できる。私たちが一念を転じて、自分の心を直視したとき、その中にはすでに如来の智恵が内在しているのです。
しかし、実践の観点から見ると、真実の本質を観たからといって、直ちに釈迦と同じ完全な功徳と智恵が完成するとは言いがたい。日常生活の中で古い習慣や微妙な煩悩を解消しながら、菩薩行は続きます。
結局のところ、真実の本質を見ることは、私たちが本来如来であることを悟る門であり、実践は、その悟りを言葉と行為と慈悲を通して完全に明らかにする道です。目覚めは人生を離れた宣言ではありません。それは生涯を通じて輝かしく成長しなければならない実践です。
私たちは本来如来であることを自覚し、日常生活における菩薩行を通してその目覚めを明らかにしなければなりません。
本質を見るということは、新たに仏陀になることではありません。それは私たちの内にすでに完成されている仏性を直接見ることです。しかし、その目覚めは、日常生活における菩薩行と慈悲深い実践を通じて明らかにされ続けなければなりません。
本質を見るということは、私たちがもともと如来であることを知ることです